昭和42年7月22日 夜の御理解
此の方金光大神ぞ と教えておられます
金光大神あって神が世に出た、教祖の神様があって、初めて天地の親神様が、親神様としての働きをなさることが出来るようになられた。天地開闢以来、このような氏子かってまだ見たことが無かった、という意味のことを仰っておられます、ね。天地の親神様は、
ほんとにその辺のところ、天地の親神様のお心の内が察しられます。どのようにお喜びであっただろうか、これからは金光大神の取次によって、世の中の難儀な氏子が、取次助けられる道が開けてくるぞ、いう風にお感じになったことでございましょう、ですから結局金光大神あって神が世に出たのであり、いうなら天地の神からも氏子からも、両方からの恩人はこの方金光大神じゃということですね、私共もそういうことになってくるですね。
金光大神あってこそ初めて小倉が御縁を頂かれた、そして四神様のご時代に小倉に布教に出られた、そして福岡が、そして久留米が、そして三井教会、善導寺の教会がという風に、金光大神あって私共がいうならおかげを受けられるようになったなんでございます。
けども もうひとつここに云うと、三井教会の初代の荒巻先生あって、私共おかげを受けられるようになったとも云えるわけなんです、ね、してみると皆さんは、ここでは大坪総一郎という人があって、私共は金光大神を知らしてもらうことがでけ、天地の親神様のご恩徳が、いよいよ分からして頂く事がでけたと、いう事になるのじゃないでしょうかね。
してみると云い変えると、この方大坪総一郎あって金光大神が現われなさったのであり、、又天地の親神様が現われなさったということにまでなってくるわけなんです。これは私はいつもその実感として感ずるのですけれどもね、よくあの信徒会なんかの会合で、御比礼の立つところの教会の信者さん方が発表される時にはですね、もうこれは みんながみんなと云うていいほどに、もう親先生のおかげで助かりましたと、親先生のおかげでという風に表現されますですね、親先生のお取り次、親先生の御修業、そのようなことがもう身に染み込んでいるんですよ、ですから親先生のおかげで助かりましたということは、そのまま金光大神のおかげで助かったということに通ずるのであり、天地の親神様のおかげで助かりましたということにつながるのです。
「まさかの時には天地金乃神と云うに及ばん、金光大神助けてくれと云えば助けてやる」と仰ることはです、親先生といや助かるという事なんです、ここで皆さんそういう体験は皆んなが受けとられますですね、金光大神と云うひま、云うひまの無いと云うか、もういよいよの時は矢張り親先生である、親先生 そこには金光大神とつながる、天地の親神様とつながる、私は道が開けておるのが金光様の信心だと思うんです。だから皆さん私に、私はそげん云わんならん、拝まんならんと、親先生のおかげでと強制するのじゃ無いです。けれども、矢張りここでおかげを受けた人はやっぱり、みんな親先生のおかげで私がございます、親先生のおかげで今日の私の家がございます こう申しますでしょうが。
それはそのまま親先生ということは、金光大神に通ずるのであり、天地の親神様にまで通ずることなんです。そこで私は思うのですけれども、その金光大神とのつながりというか、その親先生との密接なつながりというものをです、いよいよ密なるものにして行かなければいけないということ、ね。そこんところを皆さんがひとつ頂いていかなければならない、ね。ですから、私とのつながりが消えるところに、もうすでに金光大神とのつながりも、天地とのつながりまでも切れるようなことになってくる言わば道理でございます。そこで取次のものが、なかなかそこんところへ心を細かに使わなければならんと、いつも思うのですけれども、今日でした、夕食をさしてもらいよりましたら、あるところの息子さんが自動車を買わせて頂いたというのです。それから御飯済んでから御祈念さして頂く、御神米を下げときなさいと云うておりました。まあ 子供の時分なよう熱心に信心がでけとったんですけれども、それこそ「 」の息子じゃなかばってんか、大きなるに従ってから馬鹿になってきた、あおなってきた・・・?いけません、あげんとは。
子供の時には子供ながらも、御心願頂いたりしよった、この頃はそれこそ親が云うことなんか、全然問題にしない、この頃は少しは落ち着いとるけれども、この頃からお父さんを通してから自動車を買いたいち云う、どうした馬鹿んごたること、あんたん息子は云うじゃかのう、と私は申しましたぐらいでした。まあだそげなだんの、まだ自動車を買わんならんごたる商売や、仕事をしておる訳じゃないじゃないの、まあだそげな時期じゃなかですよと私しゃ云うとったら、もう買うてから今日は来とるち。それで椛目に合楽にしゃっちお願いに参らんならんと親が云うから、まあ参って来た訳なんです。それからまあ、ほんとにそれだけでも私その、この男ばかりはというような感じで頂きますとですね、もうそこでほんとに何か切れるような感じがするんですよ、私 御飯頂きよる、御飯まだなら一緒に頂こうと思うて 御飯食べたち云うから、お茶なっとん出せちいうてから、私が御飯食べるのを待たせておる間にです、若先生が〇〇さん青年会に出て来て下さいち 前は熱心に出てきよんなはったっちゃけん、青年会に出て来て下さいちいよったら、どげなこつ云うかと、もう八日の日に限ってから用事が出けちから と、もう私横で聞きよってからもう、がっかりするんですよ、もうほんとにですね、なんていうでしょうか、もう見込みはなかち云う気がするんですよ。ほんとに心の中で金光様唱えにゃおられなかったです、私は、はあ、しかし私がこげな気持になったら、こりゃ、この男おかげ頂き切らんと思ったから、一生懸命神様にお願いさせて頂いてから、昼 おさがりの美味しい桃を頂いとりましたから、そのことを思い出しましたから、あ、ほんにあの美味しい桃は残っとらんか、冷蔵庫に冷えとらんかと私が申しましたら、冷えとるというから、はようそれを誰々さんに出せと私申しました。もうかろうじてそのことでつながる 私とですね、ほんとにあのやっぱ取次者として、そういうような苦労もあるとですよ。こんやつばっかりはもう、もうこんやつは見込みなか、もう云うたらほんとに助からんです、その人は。先程から申します、金光大神とのそれが切れてしまうのです。先生すいません、ほんとにお許し頂かんなり買わして頂きましたばってん、どうぞよろしゅうお願いします、まあだ借金 おそらく借金払いもでけとることじゃなかろうから、この代金の支払いのことについて宜しくお願いします、という風にでんいやよかけれども、ほんとにその資格もないのに、親はくうくういよるのに、そういうことを平気でやる男。しかも青年会になんで来なさらんかと云うと、それが明日八日に限って用事のある、そげなある筈はない。勤め 毎晩でん参ってこうと思や、勤めですから参ってこられる、遠い所でもないのだから、けれどもね、この男ばっかりはもう見込みがなかと云う風に私が思うたら、もうそこで切れるのです。そこで私は辛うじて、普通で云うならお茶でん出すなと云いたいところなんですけれども、私はほんとに無理して、桃はないか、冷たかつはないか、まあそのことで何を感じたかそれは知らんです、けれどもです、私は辛うじてその事によつてつながっている感じでございました。
皆さん、神様とのつながりということは、金光大神とのつながりということである、と同時にお取り次を頂いておる、願っておる、言わば先生とのつながりであり、親先生とのつながりなんです。ですから、そこんところのつながりをです、私は密にしていかなければならない、いよいよ誰がなんと云おうと、それこそ誰が水をさそうとも、どのような迷いが起こるようなことがあろうとも、親先生の仰ることに間違いはない、親先生が云われたのであるから、というような頂き方の中におかげが受けられるのです。
今日下がらして頂いとる時でしたから、もう一時頃だったでしょうか、福岡の徳久さん達が親子で参ってきとりました。丁度今月号の新聞が出ておりましたから、そこで私が下見をしよりました、それで徳久さんもそれを眺めさせて、ああほんとに一番初めに素直にて、何事も素直心のひとつにて、雲の上まで登る道あり という御理解が冒頭に、見出しに書いてあって、その素直心ということについての御理解が載っておるんです。先生私はこれを見てから思い出させて頂いたんですけれども、現在ここ三,四年にもなりますでしょうか、生命保険の外交しておられます。非常になんというか、人望家ですからですね、もう自分が行かんで向こうの方から加入を申し込んでくる、という位なおかげを受けておられる方なんです、婦人の方です。徳久さんですかね、その方が云われるのですよ、親先生私はこの御教えを見てから、ほんとに思い出させて頂いたんですけれども、私が生命保険のことを無理に云われるから、親先生にお伺いしてからと云うので、お伺いに参りました。そしたら親先生が神様にお縋りをしてなさったらよございましょうということであった、ところが親先生仰るけれども、どんなに考えても私 人の家に行ってから無理にその保険を、どうでもかたって下さいなんてよう云わん、とても私ごときの者に出来る筈はないと思うてから、親先生ああ仰って頂くけれども、やめようと思うて帰りかけましてから、あの総代さんに久富さんちてから、おじいちゃんがお参りして見えるでしょうが、と云われる。あの人はおじいちゃんじゃなかですよ、ありゃおっちゃまですよ、私はおじいちゃまかと思いよった、繁雄さんのこと徳久さんから見たらおじいちゃんに見えなさったんでしょう しわがれて御座るから、おじいちゃん、そん時おじいちゃまが仰ったことなんです。徳久さんて、私後の方で頂きよりましたが、親先生は神様にお縋りしてなさいと仰ったじゃないですか、ね、親先生のお言葉をそのまま有難く頂かせて頂いて、所謂私が頂いとる御理解のです私が親先生にお書き下げ頂いて、軸にさせて頂いておりますが、それには 何事も素直心のひとつにて、雲の上まで登る道があると仰るくらいですから、どういうご都合があるやら分かりませんよ、素直に受けて帰りなさいと云われた時に先生、実は腹が決まったんですよというて、昨日新聞見て云われるんですよ。
そして何年、ほんとにあの時におじいちゃまが仰ったように、その通りにおかげを頂いておるということ、私はつながりというものは、そういう風にしてつながっていくのであり、密になっていかなきゃ 親先生が仰ったことだからと、こういうつながりがです、でけていかなければならん、親先生そう仰っるばってんと云うてこうしたら、そこでぷつっと切れるわけなんです。
ね、あら、そげなこつですか、あの 繁雄さんて方はあの、まあだそげん若いとですか、そんなら私と年を聞いてから、私と変わらんくらい、変わらんくらいおじいちゃまなんて、ほんとにそら失礼ですよ、ち云うて大笑いしたことですけれども、ほんとに総代のおじいちゃまが仰ったことが、今日まであんかんとしてつながって、おかげにつながっておるということ。それは繁雄さんの親先生とのつながりであり、金光大神のつながりという、その信心が徳久さんにつながったと、私は思うです、ね。
私は今日は、皆さんと私のつながりということについてです、ほんとに、ここんところを密にしていかなければと云うて、私がいつもにこにこあなた方にしとくばっかりじゃいかん。ね、ぶうっとしとることも腹かいとる時もある、時には厳しい云われることもあるけれども、もう先生があんな事言ったけん、あんな顔しとったけんと云うてぷつっと切れたらそれまでなんです、そこんところを神様のご都合に違いはないという頂き方をもって、そこんところをいよいよ密なるつながりを持って行く為に、私と皆さんとのつながりというものが濃ゆなっていかなければいけないということを感じます。そして皆さんがおかげを受けられた時にです、ね、金光大神が天地の親神様が仰るじゃろう この方大坪総一郎があってお前が助かり氏子が助かるようになった、同時に金光大神も、又は天地の親神様も助かるようになったと言って、喜んで下さるとじゃなかろうかと思うですね。 どうぞ